みなさん、こんにちは。金村りゅうなです。
本日も、私の政治人生を振り返っていきたいと思います。
▶︎前話はこちら:#1 私が秘書になるきっかけと、城島光力という政治家
【私の履歴書(2)】
2003年初めての衆議院選挙
城島事務所に勤め始め1年と半年経ったあたりで衆議院の解散総選挙がありました。
衆議院の議場で解散が可決されると議員が万歳をしています。
すごく奇異に感じたことを覚えています。
その後、選挙事務所や選挙中に使用する制作物の準備、後援者のみなさんとの集会、やることはいくらでもあります。
私は初めての総選挙で何をすべきかもわからず先輩秘書の指示に従い業務を行なっていました。
とりわけ城島本人と行動をともにしますので常に緊張していた記憶があります。
警察官の尾行
ある夜、城島が後援者との集会に参加しました。車で待機していると明らかに違和感のある車両がこちらを窺っています。
私は何かなぁと気にしていると城島が車に戻ってきて一言。
「あれは警察だな」
テレビドラマの中だけだと思った警察の尾行に心底驚きましたが、同時にそれだけ大きなものに携わっていることに慄きました。
私はこの選挙を通して、とにかくまわりに迷惑をかけないことを強く誓いました。
牧歌的な国会
当時はまだ今ほど与野党の対立は先鋭化されておらず、政権交代可能とまで熟していませんでした。
これは1994年あたりから続く新党ブームがひと段落し、与野党の議員が二大政党に収斂される過程だったからだと思います。
議員会館にいる先輩秘書から自民党所属の議員を指して、「以前は〇〇党にいた」等よく教えられたものです。
また、初当選が野党第一党(民主党)という議員も少なかったと記憶しています。
そんな中、当時の菅(かん)民主党代表がイギリスのブレア首相(当時)をモチーフにした写真を掲げ、マニフェスト選挙を訴えました。
陰影の強い写真で背景は黒。
「これ夜見えるの?」と思わず声が出るほどのポスターでした。
2003衆議院選挙勝利
私にとって初の総選挙で城島光力が悲願の小選挙区勝利を獲得しました。
衆議院解散以降、関わる人たちの熱量は凄まじいものを感じました。
絶対に勝つんだという気迫、限られた時間を効率よく使うため、寝る間を惜しんで業務にあたる日々。
私にとって真剣に戦う大人を初めて見たような印象です。
当確がでた瞬間、娘と抱き合う城島を見た時に末端で関わった私も胸に込み上げるものがありました。
<選挙結果>
自民党237
民主党177
※他党割愛
この総選挙を機に与野党の対立が先鋭化していきます。
運命の日
改めて選挙を振り返ると驚くことが一つありました。
2003年衆議院選挙は、11月9日投開票。
私の次男は11月9日生まれ。
次男は障害を持って生まれてきました。
私はみなそら園を経営し障害児支援をしてきましたが、まさか私自身が障害児を育てる立場になるとは思っていませんでした。
この次男の子育てを通して、私は選挙に挑む決意をしたといっても過言ではありません。
天から授かったこの良縁を大切にし、戦いに臨みたいと思います。
次回予告「2003年〜2005年郵政解散」
▶︎次話はこちら: #3 信念の言葉「向き不向きより前向き」
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