みなさん、こんにちは。金村りゅうなです。
本日も私の人生について振り返っていきたいと思います。
▶︎前話はこちら: #8 悲願の政権交代と民主党政権の誕生
【私の履歴書(9)】
自公連立政権の強かさ
1955年自民党誕生以来、初めて選挙による本格的な政権交代を実現した日本。
長く権力の座にいた自民党にとっては想定外であったと思います。
小選挙区制度の下、公明党との連立政権は幾度の衆議院選挙を経て強固なものとなっていました。
選挙互助的要素の強い連立政権ですが、公明党によって自民党支持層以外を補完する役割を担ってきたと捉えることもできます。
自民党からはストレートに唱えにくい政策を公明党が担うことによって、支持されるウィングを広げてきたと思います。
さすがとしか言いようのない高度な連立政権に、敵失とはいえよく政権交代したと今でも思います。
無党派層をフォーカスする
2000年あたりから無党派層と動向が選挙の勝敗を決するようになってきました。
当時の総理が「無党派層は寝てればいい(要約)」といったのは有名な話です。
民主党は2009年政権交代選挙では無党派層に照準を合わせ、様々な政策を主張してきました。
またコンクリートから人へのキャッチコピーに象徴されるように、人へ投資をする社会を作るよう活動を展開します。
ただし財源論は乏しくばら撒きのテイストもありましたが、とにかく普通の暮らしをしている人たちを豊かにしようという情熱はあったと思います。
国民の多くが政権交代を望む結果となりました。
経験に勝るものなし
民主党政権のウィークポイントは、なんと言っても各議員の経験値だったと考えます。
民主党は無党派層の強い都市部で議席数を獲得して成長した政党でしたが、2005年郵政選挙でその都市部で大幅に議席減となっており、2009年政権交代選挙によって新人議員もしくは落選を経て与党議員となった人数が100名以上でした。
いくら能力があろうともこれでは経験値が足りません。
これらの前提条件を理解しなければ民主党政権の本質を見誤ってしまいます。
民主党政権が陥った負のスパイラル
大きな問題点は、日本政治において自民党にしか与党の経験値がなかったことです。
まず民主党の経験値を元にカテゴリー訳してみましょう。
① 与党経験のある議員
1990年代前半、自民党政治から割って出た勢力によって紆余曲折を経て2大政党に収斂されました。政権交代時で15年以上たっておりますので与党となっても勝手は違います。
②議員経験は長くとも、与党経験のない議員
旧社会党や旧民社党経験者もいましたので民主党には多く在籍していました。
③2005年郵政選挙によって落選経験者
民主党の強いエリアに落選者が多く、裏を返せば我こそは民主党と自負する議員も多かった。
④新人議員
人間関係を省いてカテゴリーでみるとスッキリします。
あらためて思いますが民主党は政権交代という事象は共有していましたが、政権運営は共有していなかったと思います。
そして私はカテゴリーごとにこんな印象を持っています。
①が過去の経験値に偏ったこと
②が理想を優先してしまったこと
③が落選期を取り戻すかのように焦ってしまったこと
④が数の論理に加担してしまったこと
カテゴリーを派閥で均衡化する自民党はまさに叡智の結集といって良いのかもしれません。
民主党政権とは
1)経験値をリカバーする手段を持っていなかった
2)増税などマニフェストにない政策を実現したことにより
3)国民から厳しい視線にさらされたと思っています。
とりわけ2)が決定打となったことは言うまでもありません。
そして2)に至る過程に、私は自民党のような強かさが必要なことを思い知りました。
次回予告【民主党政権が、なぜ国民からの支持を失ったのかを考える】
▶︎次話はこちら: #10 民主党政権に足りなかったものとは
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