先日、娘の小学校入学式がありました。
その日以来、早速一人で寝始めた娘の成長に目を細めています。
これからどんな人生を歩んでいくのか、親として楽しみで仕方ありません。
さて、本日も私の人生を振り返ってまいります。
▶︎前話はこちら: #9 元財務大臣秘書が政権与党民主党について語る
【私の履歴書(10)】
民主党政権のつまずき
民主党政権は鳩山総理、小沢幹事長のツートップ体制でスタート。
発足時は高い支持率を誇りました。
しかし鳩山総理自身のお金にまつわるスキャンダルによって失望感が広がり始めます。
これは当然で変化を望んだ国民からすれば「政治って変わらないよね」と思わせるには十分な要素でした。
政府や党の人事をみていて思ったのは、2005年郵政選挙によって落選を経験した議員の扱いです。
きちんと重用しなかったばかりに不満はどこはかとなく広がっていました。
加えて小沢幹事長の強権的な党運営によって不満は決定的となりました。
そこから民主党の象徴であったお家騒動につながり、ガバナンス機能の無さを国民に露呈してしまいます。
結果として鳩山内閣は10ヶ月あまりの短命で幕を閉じます。
私はこの時、国民から選挙によって信任を得たのは鳩山内閣であり、誰が総理になろうとも難しいだろうなと思っていました。
菅(かん)総理誕生
小沢前幹事長との一騎討ちを制し菅総理が誕生しました。
仙谷官房長官のマネジメントもあり強権的であった政治主導はあらたまることになります。
さらに窓際族化していた2005年落選経験者も適材適所で成果を発揮していきました。
しかし内容がしっかりしていても、選挙の信任を得ていない内閣に国民の視線は厳しいものです。
さらにいまだ癒えることのない東日本大震災も発生します。
城島は菅内閣時から政調会長代理という要職を得ます。
20年以上のサラリーマン経験を通して得た組織論、丁寧な議論の進め方、明るい人柄など党内外から評価もいただいていました。
城島の役職があがるにつれて私のやりがいも増していきます。
それでも心の中の不安がなくなることはありません。
やはり国民からの信任は選挙でしか得られないからです。
菅内閣は東日本大震災の初動における非難、外交問題など様々な課題を乗り越えることができず、1年と3ヶ月というまたもや短命で幕を閉じます。
まさかの3人目、民主党政権迷走の極み
民主党代表選挙を得て野田内閣が誕生。
私も代表選挙に参加していましたが演説は素晴らしいものがありました。
しかし内閣の人事を見て、期待が大きくなることはありませんでした。
加えて野田内閣は選挙時に一言も触れていない消費税増税を決断、その成立に向けて全力を注ぎます。
私は政策の方向性は違います(消費税減税一択)が野田内閣は実直で真面目な人材も多く、タイミングによっては期待値もあがったと思います。
ですがこの実直、真面目が仇となります。
政界において自民党の存在はあまりにも強大です。
もはやこの段階は民主党が政権を持続させることは一種の賭けともいえる段階でした。
当時の政権首脳をみていると、ならば一層のこと、未来に向けて必要な政策だけは成立させる。
そのことによって汚名があろうとも構わない。
一種の悲壮感や自己陶酔、こんな心境だったのではないでしょうか。
結果として自民党公明党と三党合意を果たし消費税増税法案が可決。
その後の衆院選挙で大敗を喫し、いまは党名すら残っていません。
私は民主党政権に足りなかったものは誠実さと図太さ、この相反するふたつを持ち合わせていなかったことだと思っています。
誠実さとは国民との約束を守り必要な政策は選挙を得て実現することです。
民主主義を否定するかのように、選挙を得ずに消費税増税のような法案を成立させることは国民と真摯に向き合っているとは言えないと思います。
一方、図太さとは出来ないことを出来ないと言える勇気です。
さらに政権運営もメリハリをつけ変えるべきところは変える、変えなくとも問題ないところは変えなくても良いと言い切れる図太さ、ここがあればもっと違った未来もあったのかもしれません。
いずれにしろ民主党そのものが消滅した現在、政権運営に必要な経験は自民党にしか残されていません。
ここは日本政治のリスクと捉えるべきだと思います。
日本に新たな2大政党を定着させなければ国民の政治離れはさらに加速することでしょう。
私は川崎の地から、金村りゅうななら、日本維新の会ならと期待いただけるよう活動して参ります。
次回予告 【再び自民党政権、都議選へ立候補】
▶︎次話はこちら: #11 2013年の都議会議員選挙に立候補した理由
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