川崎市とのきっかけ
私は2002年から城島 光力衆議院議員の秘書見習いをスタートさせました。
その後2007年に選挙区移転に伴い、川崎市(神奈川10区)とのご縁をいただきました。
当時の川崎は京浜工業地帯として昭和の高度経済成長を支えた時代から、工場跡地が、武蔵小杉のタワーマンションやラゾーナ川崎として再生される、まさに川崎のリスタートのタイミングでした。
私は川崎の力強い再生に思いを馳せ、自らに「何度だってやり直せるんだ」と心に誓いました。
川崎にきて学んだ多様性
川崎にきたときは 28歳でした。
議員秘書として奔走する中で、人は、働く人や生活者、父親や母親などたくさんの顔を持つことに気づきました。
個人の中に存在する多様性に目を向けるきっかけとなりました。
そして、多様な面を持つ個人であるにもかかわらず、ある一点でも失敗すると、途端に社会から、はじき出されてしまう、日本の社会の在り方に疑問を持ちました。
なぜ失敗に対して寛容じゃないのか。
そして議員秘書として 10年あまり相談事や地域の課題に取り組む中で「つぎはぎだらけの古い政治を根本から変えなければ、ひとりひとりの人生の選択肢は増えない」「個人の自立と、多様な選択肢の中から自己決定できる自由な社会こそ、幸福度の高い人生」と強く感じるようになりました。
落選、そして児童福祉施設をスタート
私は理想の実現に向け選挙に立候補、そして落選。
選挙中から政策として力を入れていた発達障がい児の支援をするため、落選後の選挙事務所を改装して起業しました。
姪っ子が発達障がい児だったのがきっかけですが、ようやく川崎で事業を始めたのが 2015年6月です。
私は障がい児に対する療育のプロフェッショナルではありませんが、妹夫婦を見ていると障がい児の子育ては苦労の連続。
まして子どもの障がいを受け入れる障がい受容は親にとって並大抵の思いではできません。
障がい受容の辛さに直面している親を支援するため起業を決断しました。まさに私自身のリスタートです。
当時、川崎の児童福祉施設は少なく家族の選択肢は極端に少ない状況でした。
そして施設数が少ないということは支援が行き届かないばかりか実態を把握することもままならず、障がい児支援はまさに手付かずといった状態でした。
こんなことではいけない。そんな川崎の皆さんのために役に立って見せる。
今度こそ苦しい中で頑張っている人たちの役に立つと誓ったのがこの川崎なのです。
そして、その誓いどおり、今日までずっと、思いがけず障がいをもつわが子を迎えたご家庭のリスタートをサポートしてきました。
働く人にとっての豊かさ
経営者としては、どうすれば社員の生活そして人生を豊かにできるのかを、児童福祉施設の運営を通じて実現させることをいつも考え続けました。
豊かさの定義は人それぞれで、個々人で考えが違うとすれば、会社や私が提供できるのは、 社員(個人)が自立を目指す成長の場、様々なことにチャレンジできる活躍の場ではないか・・・。
社員が自由に活躍できるよう、その舞台である会社を大きくするんだ!という考えに至り、 その通り実行してきました。
私は、成長する社員の皆さんの姿を通して「人は信頼されることで心が安定すること」「失敗を恐れずチャレンジすることで成果を発揮すること」を実感しました。
私はリーダーとは必ずしもリーダーシップにこだわる必要はないと思います。
社員が働きやすい環境や働く動機や意義、そういったマインドセットに力を注ぐことで社員は自発的に成長を果たします。
これは今の政治にも言えると私は思います。
リーダーシップを発揮しようと、全国一律の制度を地方に押しつける国の政治。
決められない政治によって失望感さえ漂う日本。
これでは国民の意欲が未来への原動力になることはありえません。
まして働くことは人生にとって多くの時間を専有し、そこで暮らしの安定を築きます。
そうであれば個人に合わせた環境設定、所得が上がることによる未来への希望を作り出さなければなりません。
どちらも政治の決断で今の制度を新しい仕組みに変えることで、実現可能だと私は思います。
家庭支援こそ自立支援
私は障がい児支援を通して、家庭支援の大切さを痛切に感じました。
みなさんも経験があると思いますが、家庭に一つの問題が起こったとたん、その家庭の様々な問題が表に現れてきます。
まさに何から手を付けたらいいかわからないパニック状態。
私たちは、障がいをもった子供を育てていくお手伝いとともに、その家庭に内在する課題を、一緒になって向き合うことで、ひとつひとつクリアにして、家庭そのものの負担軽減に取り組んできました。
家庭支援とは、障がいを持ったお子さんだけではなく、お母さんもお父さんも、家庭の皆さんが、個として自立していくための根源的な支援であるとあらためて強く感じました。
一部の「勝ち組」ではなく、すべての個人を軸にした社会
私は、これまでの政治は、「社会が豊かになるため」という看板のもと、一部の勝者のための政治であり続けてきた結果、現在の「富の偏り」や「格差の固定化」に繋がっていると考えます。
さらにこのコロナ禍によって「社会の分断」とまで表現されるに至ったと思います。
私は個人の自立や自己決定できる自由な社会こそ、幸福度の高い人生だと思っています。
そのためには政治の軸を、弱い立場の方に合わせ、グラデーションのように個別最適化された支援が社会の隅々まで行き届く社会をつくるべきだと思っています。
川崎から日本を変える
いま日本を覆う閉塞感の要因は未来への希望の欠如です。
人口減少社会に突入した日本にとって、必要な少子化対策とは平均所得の向上です。
多くの若者達が「所得が上がらないことで結婚できない」、「結婚しても2人以上の子供を持つことを躊躇する」という現実があります。
こどもたちや若者には教育の無償化によって教育の機会や質を補償し、家庭の所得格差が社会の格差の固定化につながらぬよう、スタートがフェアな社会を作らなければなりません。
高齢化社会に必要なのは、シニアのみなさんの生涯にわたり活躍する場、つまり機会の創出です。
経済成長を鈍化させている規制による既得権や利権構造に徹底的にメスを入れ、フェアな競争市場によるチャンスのある社会。
持続可能な社会保障制度により、セーフティネットを前提としたチャレンジできる社会があれば人は何度でも立ち上がれます。
雇用によるセーフティネットは脆弱で、まして硬直化した労働市場の日本においては自由に働く場所を選択できないことそのものが、人生の可能性を狭めていると言えます。
たった一度の失敗でリスタートを良しとされない、チャレンジを肯定されない社会に果たして成長するチャンスはあるのでしょうか。
日本のリスタートは「日本の縮図」と言われる川崎においてスタートさせなければなりません。
私は議員秘書や経営者として川崎と関わる中で、多様性や包摂性を体現したこの地の強さに魅力を感じました。古くは高度成長期を支えた重化学工業エリアから研究開発や産業創出する臨海部エリアとして再生を目指し、さらには東京のベットタウンを超え、独自のライフスタイルの街として変容する強さもあります。
いまの時代に合致した社会システムに制度を変える。
制度を変えることにより、ひとりひとりの人生における選択肢を増やす。
選択肢が増えれば個人の自立と自己決定できる自由な社会へとつながり、本当に自分らしい豊かな人生を送ることができます。この実現のために「しがらみのない政治」「決断力と実行力を兼ねた新しい政治」が必要です。
◇ いつだってスタートできる社会
川崎の地で全ての人にスタートを作ります。
◇ 何度でもリスタートできる社会
失敗に寛容でリスタートできる社会を作ります。
◇ 全ての人にとってフェアな社会
フェアを前提とし個人の尊厳を尊重し私はチャレンジします。