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#11 2013年の都議会議員選挙に立候補した理由

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みなさん、こんにちは。金村りゅうなです。

いま都内は東京都議会議員選挙にチャレンジするみなさんで駅頭など、にぎやかかと思います。

何を隠そう私も今から8年前にチャレンジしました。結果は惨敗でしたがそこから事業を始め今に至ります。

本日は、城島の衆院選落選を受け、なぜ自らが選挙にチャレンジするに至ったかを振り返りたいと思います。

▶︎前話はこちら: #10 民主党政権に足りなかったものとは

 

目次

【私の履歴書(11)】

 

党首討論で突然の解散が決まる

2012年11月野田総理が安倍自民党総裁との党首討論の中で「①赤字国債発行法案 ②1票の格差是正 ③衆院定数削減」の賛成を前提に衆議院を解散しても良いと突然発言しました。

私も当時テレビで拝見していましたが、あまりに突然のことで唖然としたのを記憶しています。

のちに城島と話したときに城島も腰を抜かし隣にいた輿石幹事長に確認を求めたくらいです。

実際、討論相手の安倍総裁も驚きながら微笑んでいたのが印象的でした。

そのくらい驚きの発言でした。

野田総理の気持ちもわかります。

ですが、その年の6月に「税と社会保障の一体改革」という名のもとに消費増税の三党合意は信を問わずに、ここで問うても国民の気持ちはすでに離れてしまっています。

 

自民党が政権交代を実現、そして都議選への挑戦を決意

2012年12月に行われた衆議院選挙によって民主党は大敗。
いくつかの要因はありますが民主党の失政と、第三極と言われる「維新の会」や「みんなの党」の躍進も挙げられます。

2012年の段階は自民党が圧倒的得票数で政権交代を実現した訳ではなく、無党派層といわれるみなさんの票が民主党と第三極に分散したことが最も大きな要因です。

このときの選挙結果が今の野党に結びついていると私は思います。

そして私は自ら選挙に立候補することを決意します。

これまで城島を支えることで満足していた私が、なぜ自らチャレンジするに至ったか。

それは2011年に起きた「東日本大震災」が大きなきっかけとなりました。

議員秘書として被災地支援をする中で、行き場のない悲しみに途方に暮れる被災者の表情に胸が苦しくなりました。

しっかりと支援すべき政治は、機能不全に陥ってしまっている。

被災地に必要なのは決断力と実行力の伴う政治、それは議員でしか担えない。

それに加えて、私の姪っ子が発達障がい児として生まれてきたことも大きかったです。

個人に合わせたサポートが必要なのに全く行き届いていない。

サポートの必要な人が自ら選択できる環境を作りたい。

東京都のように潤沢な資金のある自治体こそ、新しい政治に取り組むべきだ。

つまり、政治を変える。

私はついに東京都議会議員選挙への挑戦を決意しました。

私は生まれも育ちも名古屋、議員秘書として足立区と川崎市を経験しました。

公認候補として戦える地区がないか党職員に相談する中で、事実上大田区しか選択できないことが判明しました。

前年の衆議院選挙大敗を受け、当時の民主党にとって複数候補者を擁立できる地区はそんなになかったということです。

そして城島にも理解をいただき私の大田区での戦いがスタート、その時点で4月初旬、、、

2013年6月14日告示日まで残すところ2か月の戦いが始まります。

 

次回予告 【都議選惨敗、しかし歩みは止めない】

 

 ▶︎次話はこちら: #12 候補者としての覚悟が芽生えた都議選2013

 

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