#12 候補者としての覚悟が芽生えた都議選2013

みなさん、こんにちは。金村りゅうなです。

本日4月22日は「良い夫婦の日」となります。

語呂合わせはあまり好きではありませんでしたが、こんな機会がないと、妻に優しい声をかけるのも照れくさいのも本音です。

久しぶりに妻と酒でも飲むかな。

さて、本日も私の人生を振り返ってまいります。

▶︎前話はこちら:  #11 2013年の都議会議員選挙に立候補した理由

 

【私の履歴書(12)】

 

残り2ヶ月の戦い

大田区での公認を受け、政治活動がスタートします。

たったの2ヶ月の為、時間との戦いでもあります。

たくさんの場所で政策を語り、ポスター掲示の訪問活動を徹底する。

いまと活動は変わりません。

いろんな方の支えにより、この期間で800枚ほどポスターを掲示することもできました。

ある日、事務所にクレームの電話が入ります。

曰く「おれは引退した何某だ、新参者のくせにおれの地元にポスター貼るな」

曰く「掲示してるお宅からクレーム出てるから剥がしてくれ」

最終的にポスターの三分割が甘いから余白を追加するか剥がしなさいと、選管から指摘を受ける始末。

こういったクレームは、脅威を感じた陣営に対して行われることが常道の為、活動の充実は明らかです。

こんなこともありました。

当時、衆議院への再起を目指していた藤田のりひこさんが私の活動とジョインしました。

私はチラシ配りや握手することを優先していましたが、その活動を見て一言。

「民主党の支持率低下は底をうったな」

私の活動を通してこのような見立てがされるほど反応の良い毎日でした。

当時の私の心境は、「これ、いけるんじゃないか!?」と奇跡を信じるメンタルとなっていきました。

 

都議選本番

準備期間は短かったとはいえ、やれることをやりきって迎えた選挙戦。

幾度も経験した選挙戦ですが、候補者としては初めてのため勝手が違います。

私は秘書時代から、選挙の中に悲壮感を持ち込むよりも楽しむことを優先してきました。

しかし、候補者の立場でやってしまうと軽く見られてしまいます。

その結果、選挙戦初日の活動終了後、城島に大目玉をいただきました。

「後援者がどんな思いで応援してくれてるかわかるのか。」

城島の言葉が胸に刺さります。

応援してくれる人を支えてきた秘書時代には見えなかった、応援されることを重みをようやく理解します。

不思議なもので、選挙戦を通じても反応は良くなるばかり。

一日中大田区内を駆け巡り事務所に戻ればスタッフや後援者に囲まれ、私はかつてない自信を持っていました。

ここから人生のドラマが始まるんだ。
この奇跡を実現してこそ金村なんだ。

いわゆる、根拠のない自信でした。
その証拠に投票日、信頼する方に秘書の相談までしていました。

しかし、結果は惨敗。

活動期間が短期間であったことと、惜しくもない敗戦に心はすっきり晴れやかなものでした。

余談ですが、この戦いの中に柳ヶ瀬参議院議員も現職都議会議員としていました。

選挙後、懐深く私を受け入れてくれたことに感謝しています。

この出会いが私にとって財産となったことは言うまでもありません。

 

選挙事務所で起業

私はこの選挙戦の中で発達障がい児の支援を訴えました。

それは私の姪っ子が発達障がい児であったこともありますが、やはりその人に合わせたグラデーションのような支援の行き渡る、その人にとっての個別最適化されたサポートが必要だと思ったからです。

落選した事務所で、自分の今後について思案します。

都議会議員として社会をよくすることは叶いませんでした。

ですが、社会を良くするアプローチは他にも残されています。

そして、何より姪っ子のような発達障がい児をサポートしたい、実妹のように障がい受容に苦しんでいる親をサポートしたいという思いもあります。

私は選挙事務所で児童発達支援事業を決意します。

2013年6月23日落選
→7月17日会社登記
→10月1日みなそら蒲田園指定

ここから、怒涛の起業家人生がスタートします。

 

次回予告 【起業は甘くない】

 

▶︎次話はこちら: #13 選挙事務所での事業開始後2ヶ月で、社員が全員辞めた話

 

コメントを残す