選挙事務所での事業開始後2ヶ月で、社員が全員辞めた話

こんにちは、金村りゅうなです。
本日も私の人生を振り返ってまいりたいと思います。

 

【私の履歴書(13)】

 

選挙事務所で起業

都議選に敗れ起業を決意し、早速準備に取り掛かります。

事業は障がい児支援の為、良いスタッフに出会いたいと思い、ハローワークへの求人登録や知人や友人の伝を頼りながら奔走しました。

結果として知人の紹介で2名、ハローワークから2名雇用することができました。

この4人がいたからこそ事業をスタートすることができました。本当に感謝です。

療育施設としてリフォームし様変わりした選挙事務所を見た時に、この事業を通して再起を期すと心に誓いました。

 

まだ牧歌的だった療育業界

私が起業した時期は児童発達支援の制度ができて2年目、全国的に施設数を増やしていく段階でした。

そのおかげか福祉業界で経験のない私にも、東京都の担当者は丁寧に接してくれました。

あれよあれよと言う間に申請受理までこぎつけ、1ヶ月後には指定されることになりました。

私が起業した理由はこの通りです。

①姪っ子を見て発達障がい児支援が社会に必要だと感じたこと
②障がいを抱えた子を持つ妹を見て、障がい受容できていない保護者のサポート

私は障がい児支援や親サポートを通して、作りたい未来は語れますが療育支援のスキルはありません。

①はスタッフを中心にコンセプトを固め、私は議員秘書時代に身につけたスキルを通して②を担当することでまとまりました。

スタートアップ時点で特定の分野をスタッフに任せるしかなかったことは、今でも未熟であったと反省しています。

 

タイムカードのない働き方

私が議員秘書をしていた頃はタイムカードや残業など労務管理は皆無でした(今はわかりません)。

実際、自ら望んで働いていた私に、労務管理制度は全く必要ありませんでした。

しかし、今回は障がい児支援という福祉の分野での起業です。

スタッフとの信頼をベースに労務管理は力を入れなければなりませんが、私の成功体験は「質も量も求める働き方」です。

これではある種のブラック企業だと、今では理解しますが当時はわかりませんでした。

これらに加えて①②を分業していたことにより、私からするとマネジメントがしにくい環境が成立していました。

これにより創業メンバーと決定的に亀裂が入ります。

10月1日からスタートしたみなそら蒲田園にもかかわらず、11月末時点で全てのスタッフが退職する事態に陥ります。

通っていたこどもたちのご家族に事情を説明して、お休みしてもらうことにしました。

そして、新たなスタッフを整えて第2創業のような位置づけでスタートしたのが翌年1月。

このときは焦りと悩みで相当しんどかった記憶があります。

私の心の中はこんな感じでした。

なんでこんなに良いことをしているのに辞めるんだ。」
「自分がしてきた経験よりずっと心身共に楽じゃないか。

よくよく整理していくと、私の独りよがりや自分勝手な物言い、相手への思いやりに欠けており、こんな代表の下で働きたいと思えないのも無理はありません。

また、障がい児支援という社会の役に立つ事業をしていることだけで満足していたのかもしれません。

私はこの失敗を糧に第2創業は成功させるため、これまでの経験や思考を180度改め、スタッフのために努力する代表になろうと決意します。

▶︎次回予告 【移転を決意】

 

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