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#16 みなそら園の理念と園名の由来

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こんにちは、金村りゅうなです。

本日も私の人生振り返ってまいりたいと思います。

▶︎前話はこちら: #15 怒涛の開設ラッシュ!保護者の想いと職員の要望の中、気付いたことは?

 

目次

【私の履歴書(16)】

 

怒涛の開設ラッシュ

私の履歴書(15)でもお伝えしましたが、2014年から怒涛の開設ラッシュが始まります。

 

【開設年表】

2014年11月 多摩川園
2015年4月 矢口園
2015年6月 川崎園
2015年7月 多摩川園未就学
2015年12月 川崎みなみ園


全ての園の開設には理由がありました。

●多摩川園…蒲田園の利用者の方々の移動時間を解消するため。

●矢口園 …蒲田園を卒園する小学一年生のため。

●川崎園 …川崎から蒲田園に通う子どもたちが増えたため。当時川崎の南部療育支援センターから副センター長が見学にきた時を懐かしく思います。

●多摩川園未就学…今までは就学児童がメインでしたが、地域のニーズに合わせ未就学児童も開設。

●川崎みなみ園…川崎園は9月から待機児童が発生することから、保護者や南部療育支援センターから話を聞き、川崎園から徒歩3分のところへ開設。


今思い返しても、この1年のことは「よく出来たな」と感心します。

職員みんなの頑張りはもちろんのこと、私自身保護者ともっともコミュニケーションをとったのもこの時期でした。

私が施設を開設するときに最も重要視したのは「保護者の声」でした。

需要と供給のバランスで市場を開拓するより、事業のニーズには合うと思えたこと、何より私のメンタリティに合致した経営方針を意識しました。


職員が増えるたびにマネジメントはかわる。

川崎園開設前後から、従来のマネジメントに限界を感じていました。

以前は蒲田園多摩川園を行き来していたことから、私と職員の距離も近いものでした。いわゆる家族のような距離感です。

しかし社員数25名を超えるあたりから、私のマネジメントと合わせて各施設の園長からのマネジメントが重要となってきました。

これまで施設運営にあたって幹部クラスの育成をおろそかにしていた結果、私と距離の遠い職員はマネジメントが行き届かないばかりか、会社にとっての不満分子となっていきました。

「みなそら園とは?」
「福祉施設とは?」
「障がい児支援とは?」

その頃、会社としての明確な理念の作成を必要としていました。
私は当時の園長を集め、理念の作成に着手しました。

外部講師を呼び、ワークショップ形式で自らの大切にしている価値観を深堀りし、会社の理念に落とし込みました。

ユニークだとよく言われたことは、このワークショップに私は一切関わらなかったことです。

社員を信じる。

この私の強い想いに、今後の会社の成長を賭けました。

園長たちの思いのこもった理念はご覧の通りです。

●理念●
「みんなでいきたい。ともにいきたい。


私は社員数30名を超えるあたりから自らの役割を限定し、社員みんなが成長する場を目指して会社運営を心掛けました。


園名を変えるチャレンジ

この頃の園名は「あおぞら園」でした。

しかし福祉や医療機関に「あおぞら」という名称が多く、中には世田谷区の施設と間違えて問合せしてくる方もいました。

「どうしたものか」と思案するしていた中、ふと園名を変えることを思いつきます。

「職員もこどもたちも保護者も我が事と捉えられる園名に変えよう。」

「せっかくなら全員参加型のコンテスト形式にして、みんなで園名を変えちゃおう。」

起業して3年目とはいえ、とにかく思い切った決断をしたものです。

起業することは私の思いでした。しかし関わる人も増え、私個人の施設からまさに旅立つタイミングにきていたのだと思います。

たくさんの応募の中から理念でもある「みんな」と「そら」というワードが上位を占めました。

最後は私の判断で、この二つのワードを省略して「みなそら」としました。

当時を知る保護者や子どもたちも少なくなりましたが、みんなで考え決定したこの「みなそら」を私は誇りに思ってます。


次回予告 【社員の成長を第一にした組織運営に切り替える】

 

▶︎次話はこちら: #17 チームとは?会社の大きな成長過程で気付いたこと

 

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