みなさん、こんにちは。金村りゅうなです。
私の履歴書も最終章に差し掛かってきました。
記憶に心情を加え、当時を伝えたいと思います。
▶︎前話はこちら: #20 衆院選への挑戦への決意と、日本維新の会との出会い
【私の履歴書(21)】
候補者公募にエントリー
松沢参議院議員との面談を経て公募エントリーが決まったのが2020年1月8日。
それを受けてまずはエントリーシートに必要事項を記入の上、松沢事務所に提出しました。
個人情報の記載、小論文の2点という至ってシンプルなものです。
シンプルだからこそ、自らの思いをストレートに伝える難しさはありました。
推敲を重ね提出したときは、自信と不安がないまぜになっており、信頼する知人と常に会話してた記憶があります。
この提出により正式なエントリーに至りました。
第一回馬場幹事長面談
エントリーしてからというものの、なかなか面談連絡が来ませんでした。
今までの人生「待ちの姿勢」があまりなかった私は暫くは悶々とした日々を送り、松沢事務所を紹介してもらった先輩秘書を通して何度も問合せをしましたことを覚えています。
もどかしく苦しい時間でした。
私は所謂就職活動をしたことはありませんが、待ちの時間はこんなにも辛いものなのだと疑似体験することができました。
就活生のみなさん、就活を通してお勤めのみなさん、よくぞ乗り越えましたね…。
そんな2月のある日、松沢事務所より馬場幹事長の面談日について連絡をいただきました。
期待と不安を胸に、議員会館で行われた面談に臨みました。
馬場事務所に入り、慣れ親しんだ議員会館で順番を待ちます。
この面談を通してスタートを切り開きたい私にとって、思いの強さがアダとならぬよう「集中。集中。」と言い聞かせてました。
そんな緊張感漂う中、まさかの柳ヶ瀬参議院議員が登場します。
以前より関係性のある柳ヶ瀬議員のお顔を拝見し、肩の力がスッと抜けたことを記憶しています。
お陰様で馬場幹事長との面談は滞りなく終えることが出来ました。
偶然とは言え柳ヶ瀬議員、本当にありがとうございした!!
第二回馬場幹事長面談の末
2020年3月に二回目の馬場幹事長面談が設定されました。
このときは和やかな雰囲気の中行われ、私が公認要件を満たせば公認を得るという実感の伴うものでした。
ここからが大変です。
公認要件を一日も早く満たし活動に従事したい私は、先輩秘書と共同で1週間程度でクリアしました。
この時、城島の選挙区でエントリーした私にとって公認要件を一日も早く満たすことは、自らの価値を高めることと城島の看板に泥を塗りたくないという心でした。
さぁここから活動スタートだと思ったのもつかの間、私の公認は棚上げになりました。
そうです。
新型コロナウィルスの感染拡大です。
日本全体にとっても大きな危機の中、政党の公認案件が進まないのも無理はありません。
同時に私も事業にかかりっきり。
心は逸りますが、みなそら園の職員の安定、子どもやご家族の安心を何より優先しなければなりません。
私は職員にこう投げかけました。
「見えない敵であるコロナウィルスに不安になるのもわかる。
だがそれはご家族も一緒、こどもたちにとっては環境の変化により大きな不安も抱えるかもしれない。
いまこそなぜ自分がこの職場を選択したのかよく考えてほしい。
そしてこの危機を乗り越えよう。」
今思えばこの時、事業に専念できたことにより無用な混乱に至りませんでした。
緊急時こそトップのリーダーシップが試され、リーダーの力量がそのまま運営に現れます。
良くも悪くもリーダーの伝える言葉の力を実感しました。
次回予告 【晴れて公認 政治活動をスタート】
※写真: 川崎区の金村りゅうな事務所。(この写真より16キロ減)
▶︎次話はこちら: #22 正式に維新の公認を得てのリスタートと政治への覚悟
コメント