こんにちは、金村りゅうなです。
ついに、「私の履歴書」が最終回となりました。
本日もお付き合いのほど、宜しくお願い致します。
▶︎前話はこちら: #21 維新の公募にエントリーしてから、公認を得るまで
【私の履歴書(最終回)】
公認発表を待ち侘びる
今か今かと待ち望んだ公認発表が7月後半に決定しました。
既に内定は頂いていたものの、毎週水曜日に行われる馬場幹事長の定例記者会見で発表してはじめて公認決定という段取りだったので本当に待ち遠しかったことを覚えています。
この記者発表を受けて家族や友人、この間にお世話になったみなさんへ報告の電話をしました。
公認要件を満たすためご協力いただいた城島本人、後援会や秘書時代の先輩に報告できた時は胸に熱くくるものがありました。
そこから遡ること3週間前。
公認発表の前に、必ず報告しなければならない人がいました。
みなそら園のみんなです。
忘れられない七夕
公認内定の段階でみなそら園のみんなへの伝え方を考えました。
これまで会社の代表として現場以外の業務は一手に担ってきました。
会社を創業した方は分かると思いますが、創業者はアイデンティティや仕組み作りの責任者だからこそ、その人に合わせたマネジメントも可能となります。
結果、えこ贔屓につながることもありますが、みなそら園は私ならではの組織です。
自信を持って育ててきた職員のみんなですから、みなそらへの想い、政治への熱量を伝えることが最も私らしいと思いました。
2020年7月7日、みなそら園全施設をまわり職員のみんなに伝えました。
多少の波風は立つかなと思ったら、ほとんどの職員の第一声は「代表らしい」でした。
どんな会社やねんと思う反面、よく私のことを理解しているとも言えます。
私は普段から、「目の前の人を幸せにしたかったら事業をしなさい。より多くの人を幸せにしたかったら政治をしなさい」と言ってきました。
会社というより金村軍団といったテイストのみなそら園。
本当に良い職員に囲まれました。
リスタートは新丸子
公認を得て活動準備に取り掛かりました。
この時点でスタッフは私含め4名のスタートです。
私は政治活動をリスタートするにあって、「場所」にこだわりました。
選挙区内で賑わいのある駅を選択するのか、それとも訪問活動のように対面でのコミュニケーションを選択するのか。
私は前者後者でもなく第3の道、もっとも思い入れのある場所、それは新丸子駅でした。
私は城島の選挙区移転に伴い自宅を転居しました。
それが新丸子でした。
独身時代、最後の5年間を過ごした新丸子。
言えない悩みや苦労をお酒と共に流した新丸子。
生まれも育ちも違う私を可愛がってくれた新丸子。
私が大切にしているリスタートはここしかないと新丸子駅を選択しました。
活動をリスタートさせて9ヶ月。
スタッフも入れ替わり現在はフルタイム3名、非常勤5名とそれなりの大所帯となりました。
試行錯誤の中で私の理念や政策もブラッシュアップし、ようやく臨戦態勢といったところでしょうか。
そして、私や日本維新の会が川崎の街並みに溶け込んできたと思うのは私だけでしょうか。
「政治活動は質も量も。」
これは今も昔も変わりません。
私にできることは思いを伝え、みなさんから期待をしてもらえる人物となることです。
みなさんの応援の声によって、辛く苦しい日々も乗り越えられます。
応援される覚悟を纏い、私はこの川崎で実現します。
スタート、リスタート、フェアな社会
もっと自由に、もっと選択肢の持てる日本へ
いま目の前に広がる景色は無限の可能性を秘めています。
私は自らのチャレンジを堅く誓い、今日も川崎の地を歩きます。
私は戦う。
そして、川崎から日本を変えます。
▶︎私の履歴書まとめはこちら: 私の履歴書 ー金村りゅうなの人生
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