#0 東日本大震災から10年ー与党議員秘書としての実体験

みなさん、こんにちは。金村りゅうなです。

2011年3月11日、東日本大震災から今日で10年が経ちました。
この震災により犠牲になられた皆さまに心より追悼の意を表します。

私はあの日、秘書として議員会館で勤務中でした。
議員は厚労省からのレクチャーを受けている最中。
私は同僚秘書や他の議員秘書とブレスト中でした。
突然の揺れに慌てて応接室の扉を開け、議員本人の様子を確認したのを記憶しています。

その後、数度の揺れを確認しテレビを見ると津波の報道に接しました。
厚労省の方とどれだけの命が失われるのか、そのことについて会話し、「私が出来ることは何でもやろう」と決意しました。

 

3/11 夜は議員会館に宿泊

当日は議員会館に宿泊し、数名の秘書と今後我々にできることを確認し合いました。
そのとき集まったメンバーとは今でも親しく付き合っています。

そして翌朝、けたたましい轟音で目が覚めます。
当時の菅(かん)総理がヘリコプターで福島原発に向かうためです。
東日本大震災を起点とした多くの課題に対して、当時関わった全ての人が解決へ向けて努力しなければなりません。

 

東日本大震災がもたらしたもの

私が仕えていた城島光力議員も日夜駆けずり回っています。
秘書の側から見てもその想いは相当なものだったと思います。

私も自らにできることを懸命に対応しました。
以前も記載しましたが、吉野家の社長室長からご相談いただき、被災地へ牛丼を届けるためガソリンを手配しました。

また、名古屋の実家や友人から募り支援物資を2トントラックで岩手県まで運転し届けにいきました。
そして、私自身被災地のボランティアも何度も行きました。

私はそれまで城島光力議員が活躍することを生き甲斐としていました。
それが、
「社会のために役に立ちたい。」
そう強く思うようになったのです。

 

心の変化

名古屋から上京し私を育ててくれたのは城島光力議員やスタッフ、後援者のみなさんです。
この感謝への恩返しが、まさに議員本人の活躍です。

ですが、この震災を経て私の心は大きく変化します。
自らの力で、社会を良くしたい。人の役に立ちたい。

まだまだ半人前の私ですが震災をきっかけに大きく人生が動いていきました。

 

議員を目指す?

そこから社会を良くするためのアプローチを考えます。
株式会社?NPO法人?ボランティア?
いくつも頭の中を巡りますが、しっくりきません。

私には議員秘書の経験を活かせる議員を目指すことが当時もっともしっくりきました。
ちなみに、その時夢を語りあった新聞記者の友人は現在国会議員として活躍しています。

今の私は社会を良くするための選択肢は議員になることだけだとは思っていません。
むしろ選挙区という縛りがある以上、ビジネスのアプローチのほうがよっぽど自由度は高いとも思えます。

ですが、当時の私はあまりにも経験が偏っており、議員になることでしか社会を良くできないと視野が狭かったのかもしれません。

次回月曜日は「議員を目指すにあたって」をお届けします。

 

▶︎次話はこちら: #1私が秘書になるきっかけと、城島光力という政治家

 

コメントを残す