みなさん、こんにちは。金村りゅうなです。
2021年度がスタートしました。
出会いと別れの多いこの時期、みなさんはどんなスタートをされますか?
我が家にとっては娘が小学校入学に合わせ学童保育が本日よりスタート。
娘のお弁当もスタート。私は料理が苦手です…妻に感謝!!
子育てしていると4月は慌ただしいスタートばかりで、あらためて子育てに休息はないことを実感します。
ところでずっと疑問に感じているのですが、なぜ4/1生まれは早生まれになるのでしょうか。
さて。本日も私の人生を振り返ってまいります。
▶︎前話はこちら:#5 「小選挙区の功罪」激動の小泉政治時代を振り返る
【私の履歴書(6)】
2005年 郵政選挙
いま思い返しても特異な選挙でした。
どこへ行っても、だれと会っても聞かれることは「郵政民営化に賛成か反対か」
当時の民主党は、郵政民営化に対して賛成反対といった単純な話ではなく説明を要しました。
しかし説明すればするほど、話を聞いた有権者は「反対」だと認知してしまいます。
まさに有権者は郵政民営化のみを投票行動の判断基準としたのでした。
ワンイシュー選挙の恐ろしさ
衆議院選挙は私たちの暮らしや働き方、国の行方を占う政権選択選挙です。
それにもかかわらずワンイシューを問う戦いとなってしまいました。
当時私たちの中でしきりに出た例え話として「奥さんが熱心に小泉総理を支援し、横でご主人が仕事を失う」
固い決意をもって選挙に臨む小泉総理自身がヒーローになってしまったのです。
本来必要な幅広い政策論議は行われず、ワンイシューの報道は偏りも見られ情報通も増えるばかり。
一日一日経つごとに票が減っていることを実感する毎日。
道行くご婦人と話すと怪訝な顔をされる始末、これまで「がんばって!」と言ってくれていた方々から支持を失っていく様がありありとみえました。
結果は惨敗
投票日を迎えるまでもなく小選挙区勝利が困難なことは、二度目の選挙となった私にも理解できました。
あわよくば比例復活という目論見もなくなり落選となりました。
落選が決定的となった瞬間、城島は私たちにまで頭を下げます。
誰よりも努力してきたことを間近に見てきたからこそ、私自身情けないやら悔しいやらで複雑な感情となったことを記憶しています。
私はこの瞬間、城島が再起を目指すのであれば時間を共にしたいと強く決意をしました。
それは横で見ていた母親が、私の表情をみてすぐ気づいたほどでした。
翌日、城島から再起を目指すことと合わせ、引き続き秘書を務めてほしいと言っていただきました。
これをもって私の秘書人生は新たな1ページを刻みます。
落選後、もっとも過酷なのは引っ越し?
選挙後、すぐに取り組まなければならないのが議員会館の引っ越しです。
たしか当時は選挙後3日程度で終わらせなければなりません。
これまで溜まっている資料を破棄、オフィス用品は引き取り手を探したり処分したり。
落選の悲哀と言ってしまえばそれまでですが、精神衛生上良くないことは間違いありません。
中曽根元総理は1期生を前にしてこう伝えたといわれています。
「1期生のあなたたちの仕事は次回も当選することです」
当選を継続してはじめて成果の伴う国会議員職は、栄誉や名誉で務まるものではありません。
このときの忸怩たる思いは、それ以降の私にとって大きな糧となる経験となりました。
余談ですが、城島の使用していた衆議院第二議員会館732号室を引き継いだのは杉村太蔵氏。
私と同い年ですから、少し複雑な気持ちを抱いたことは言うまでもありません。
次回予告 「落選中の秘書は何するの?」
▶︎次話はこちら: #7 落選中の苦悩と「新天地」川崎
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