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#14 まずはビラ配りからスタート?!みなそら奮闘記!

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本日は昭和の日、我々世代にとってはみどりの日としてなじみ深い、昭和天皇の誕生日となります。

昭和と聞くと在りし日となるほど随分昔のように感じます。
それだけ私も年を重ねたということでしょう。

余談ですが、私の義妹も本日が誕生日で昭和63年生まれ。
日本でこの年度は、一年間に昭和63年64年平成元年生まれが並ぶ珍しい年代です。

昭和から平成へと時代が移り、そしてまた令和がはじまる。
和暦にはその時代を生きる人の匂いのようなものを感じ、その時代の暮らしが目に浮かびます。

いま現役世代の意思決定者の大半は昭和生まれです。

三世代を生きる我々世代こそ、日本の未来を創る担い手にならなければなりません。

さて、本日も私の人生を振り返ってまいります。

▶︎前話はこちら: #13 選挙事務所での事業開始後2ヶ月で、社員が全員辞めた話

 

目次

【私の履歴書(14)】

 

第二創業期を迎えるにあたって

前回お伝えした通り、事業がスタートしたばかりの11月末に創業メンバーは私のもとから離れていってしまいました。

急遽、過去の面接リストを漁り片っぱしから電話を入れ「担当者が退職しました。もう一度面接させてください」と会いたいの一点張り。

不採用と連絡のあった会社から電話があっても普通は対応されませんし、私なら不信感しか抱きません。

しかし根拠のない話でも、人は本当に真剣になると何かは伝わります。

とにもかくにも必死の呼びかけに対し採用までこぎつけたのが2名。

本当に感謝してもしきれないほどうれしい出来事でした。
そして求人も新しくお願いし、新生みなそら園は2014年1月にスタートしました。

 

みなそら園を知ってもらうために

利用者を増やすためには施設の存在を知ってもらわなければなりません。

ホームページを開設してもアクセス数が劇的に増えることはありません。

やはり障がいを持つ子どもを育てている保護者に直接認知してもらうことが、もっとも有効だという考えに至りました。

そこで思いついたのがビラ配り、、、政治活動のおかげかアナログにいきつきました笑

大田区内の児童発達支援センター前でビラ配りをスタートします。

ここでの経験によって私は児童発達支援室の重要性や保護者の期待など、様々な声を聞くことができました。

曰く
「施設数が足りない」
「通わせたいと思う施設がない」
「役所が取り合ってくれない」
「兄弟児が心配」
「ご家族の協力を得られない」
「子どもと離れる時間がない」

どれもがいまの困りごとばかり、私の立場が違うとはいえここまで赤裸々にお話になることにびっくりしました。

同時に、議員秘書としてこういった声をあまり聞くことのなかった自分に対し、未熟さを痛感しました。

私はあらためて事業の理念を定めました。

○障がい児支援を通して子どものできるを増やす
○子どもたちのできることを増やし、家庭支援につとめる

ビラ配りの効果は不明ですが、利用者は1月より増加の一途。

次年度を見据えると、今の施設ではキャパオーバーすることが容易に想像がつき、移転を決断。

それまでのみなそら園は1対1のマンツーマン療育(60分間)を提供し、1日6名の受入が限界でした。

しかし次年度は、4名に対し個別と小集団療育(120分間)を組み合わせた時間割へと変えることを決断。

職員の負担は増えますが、保護者の願う施設運営を優先しました。

 

ついに移転

10月からスタートしたみなそら園は、翌年4月から広い施設へと移転します。

事業を始めてたった6か月、まさかの決断です。

非常勤を含めて6名の職員でのリスタートです。

療育室にマットを貼り壁を装飾し備品を整える。すべてみんなで手作業で行いました。

あの時私を信じてついてきてくれた職員と今でも話しますが、とにかく不安だったそうです。

私が不在時には「いつつぶれるんだろう」「辞め時、考えないとね」などこんな会話ばかりだったようです。

そんなこととは露知らず、私は意気揚々と移転先で事業に取り組みます。

しかし順調だったみなそら園に暗雲が立ち込めます。
なんと4月から6月の3か月間、利用児童がまったく増えません。

私も子育てを経験して理解できたんですが、年度の始まりに伴い家族の役割を明確にします。

従って、年度途中で家族の中でアクシデントが起きても中々対応しきれない。

療育施設に通所することは保育園や幼稚園を併用する児童が大半ですので、それ以上の時間を子どもに使うことは難しいのも無理はありません。

また年少組から幼稚園に通うと、3か月前後で面談があります。

そこで我が子の特性を保護者が理解をし、療育施設を探し始めます。

つまり4-6月は動きがないことを初めて理解しました。

しかしよく考えれば10月に始めた事業ですから4-9月は初体験。

ちょっと無理したなと反省しつつ、持ち前の明るさで職員たちを鼓舞し続けます。

今では年度初めから待機児童も抱えるほど利用者の期待に応えているみなそら園ですが、スタート時点ではこんな悩みを抱えつつの運営でした。

やがて7月あたりから利用者も増え続け、8月には定員いっぱいとなり待機児童が生まれるようになりました。

私は7月8月から新規で通い始めた保護者から様々な声を受け、また思い切った決断をします。

同じ大田区内での新しい児童発達支援施設の開所です。  

 

次回予告 【え?もう出すの? みなそら多摩川園の開設】

 

▶︎次話はこちら: #15 怒涛の開設ラッシュ!保護者の想いと職員の要望の中、気付いたことは?

 

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