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親の離婚と私が考える子育て論について

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みなさん、こんにちは。金村りゅうなです。

おかげさまで娘の卒園式を無事に終えることが出来ました。

自分の頃と比較すると卒園式もずいぶん様変わりしました。

私たち世代からすると発表会に近い卒園式だったため、娘の成長も垣間見れてうれしい時間となりました。

親として子どもの道を作りたくなりますが、そこはグッと堪えて娘なりの納得した人生を歩んで欲しいと思います。

目次

中学生の多感な頃に

さて、今日は少し過去を遡ってみましょう。

あれは中学一年生のころでした。

私は体も声も態度も大きくジャイアン的な存在でした。

ちなみに小学校卒業時点で173センチありました。

勉強もする、やんちゃもするといった多感な頃に家庭は崩壊の一途。

今思えば、さみしいから大きく見せようと振る舞っていたのかもしれません。

母の不在

ある時、母が突然体調不良で私たちの前から姿を消しました。

父の気丈に振る舞う姿が滑稽に映り、兄弟でとにかく話した記憶があります。

3ヶ月ほど経ったある日、母が帰宅しました。

これまでと違い少し痩せ細った母に不安と、会えたことに対する安堵感を強く記憶しています。
しかし、入れ替わるように父が私たちの前からいなくなりました。

もはや何が何だかわかりません。

1年後くらいにやっと家族5人が集まったと思ったら離婚が決まっていました。

母の愛情

離婚が決まった夜、両親が目に涙をためて私たちに向けて頭を下げてお詫びしてきました。

「本当にごめん」

さらに母が父に一言

「あなたが悪い訳じゃない。仕方ない」

なんとなく父が気不味いことしたんだと理解してた私にとっては驚きの言葉でした。

確かに父は、夫婦関係や家族関係を継続することが困難になる行動をしてしまったんだと思います。

ですが最後の最後にその言葉をかけられる母に、相手の立場を慮る情の深さとまっすぐな気持ちを学んだ気がします。

そんな母は現在、産前産後のサポートする仕事に従事しています。

母から学んだ豊かな感情を大切にしたいと思います。

世の中にはどうしようもないことある。

当時、中学生だった私は無力です。

両親や親族の中に介入することもできません。

たまたま私はそのまま素直に育ちましたが、躓くことも十分考えられます。

(それなりに好き勝手やりましたが笑)

家族のあり方も人それぞれの中で、子どもは環境によってどっちにも転がります。

いま私が子どもたちの支援に力を入れるのもこの経験が大きいです。

子どもの育ち

自分の育ちについて思うと、幸不幸ともに経験できたことが私の財産です。

おかげさまで、喜怒哀楽をきちんと表現できる人間になりました。

人生先回りできれば苦難は続かないのかもしれませんが、そんなに全ての人が賢く生きられる訳ではありません。

私が子育ての中で重きをおいているのは、世の中には壁があることを伝え、その壁に立ち向かうことで色んな思考や感情を学ぶという経験のループを大事にすることです。

あれやこれやと親が口や手を出しては未経験のまま大人になってしまいます。

娘が小学生にあがるタイミングで、ふと思い出したことを書き連ねました。

経験に勝るものはありません。

素直に勝るものはありません。


※私の母と長男の写真

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