落選直後に事業開始?!私が児童発達支援施設を始めた理由

本来ならば本日、緊急事態宣言は終了予定でした。

感染者数の推移が1月からの緊急事態宣言による効果か見定めるのも難しく延長は妥当な判断だと思います。

しかし、宣言下の地域においては個人に対する行動抑制、さらには同調圧力などの自粛傾向により心の疲弊も大きくなってきています。

とりわけ子どもたちの心のストレスには目を向けなければなりません。

私は早い段階から、子どもたちのメンタルヘルスケアを主張してきましたが、今こそ実現が必要だと思います。

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さて、本日はなぜ私が児童発達支援施設みなそら園をスタートさせたか。

それについてお話ししたいと思います。

最愛の妹の出産!

私は母、妹、弟の4人家族で育ってきました。

両親の離婚を経ていく中で父から妹への愛情を引き継ぎ「妹だけは悲しませない」と誓ったのが、今では懐かしく感じます。

また、ひとり親家庭に抱きがちなイメージとかけ離れた、底抜けの明るさを持った家庭で育ってきました。

余談ですが私はシスコンではなくファミコンです笑  

そして、いろんな時を経て妹が結婚をし、子どもが生まれました。

しかし、どこか今までみてきた赤ちゃんと過ごし方も泣き方も違います。

私はあれだけ愛情を注いできた妹の家族に起きた異変に、居ても立っても居られませんでした。

とはいえ当時は川崎と名古屋で遠く離れた距離、出来ることに限りもあります。

当時は母とよく電話したものです。

姪っ子の成長をみていくと特定の特徴がみられました。

いくつかのピースをはめ込んでいくと、ひとつの答えにあたります。それが「発達障がい」でした。

他人が発達障がいというのは容易いですが、妹家族の苦労は相当なものだったと思います。

障がい児を持った親なら理解できると思いますが、もっともハードルが高いのは「障がい受容」です。

とりわけ妹にとってきつかったのは娘だったことにより、自らの人生をトレースしていた娘の人生が、妹自身が想像していたものと大きく変化してしまいました。

余談ですが障がい児の割合は男性のほうが高く、また障がい受容できないのも父が多いです。これは子どもの性別が親から見て同性か異性かが深く関与していると私は思います。

都議会議員選挙に落選からの事業スタート?!

父から私へ引き継がれた妹への愛情、妹に起きた異変、近くでサポートできない私にとって大きな機会をいただきます。

それが都議会議員選挙でした。

「発達障がい児を支援したい」

「障がい児を抱えるご家族を社会でサポートしたい」

「そもそも社会をよくすることで生きていける社会をつくりたい」

そんな政策を散りばめるのは自然の流れでした。しかし結果はあえなく落選。

ここからが私らしいのかもしれませんが、選挙事務所を本社として株式会社を立ち上げ児童発達支援施設をスタートさせました。

6/23投票日、7/17会社立上げ、10/1事業所スタート

よく落選からこの短期間で走れたものです。すごいぞりゅうな!笑

その後、良き仲間にも支えられ今の事業規模にまで成長することができました。

私は事業をスタートしたとき、子どもの成長と同じくらい親の立場をサポートしたいと主張しました。

それはやはり障がい児のご家族を、妹家族とシンクロして見ていたのだと思います。

あれだけ家族が密着して生きてきた金村家であっても、自身の子どもの「障がい受容」に関しては一切口を閉ざしてきた妹。

妹ですらきつい環境ならば「誰かの支え」の少ない人にとっては、さらに苦しい環境であるといえます。

私は妹への力不足を恨めしく思いながら「みなそら園」を成長させてきたつもりです。

そんな妹も今ではみなそら園の一員として、障がい児支援の現場に携わっています。

父から受け継いだ妹へのバトンが、今のみなそら園に繋がっていると思うと、人生とはつくづく不思議なものだと思います。

※写真は昨年11月の家族写真(母、妹、弟)

 現在進行形の「ファミコン」です。

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